「日本人はとにかく空気を読みすぎる」なんていう意見もありますが、はたしてそれは日本人だいけでしょうか。
色々な国の人々と触れ合うと、別に空気を読むという文化は日本だけではないことが分かります。
空気を読むのは日本人だけじゃない!
- 空気を読む能力はどんな場所でも、どんな年代でも必要
- 外国人も「その文化や風習の中で」空気を読む
- 「適応する」ということをサボった人間は淘汰されるのみ
空気を読む能力はどんな場所でも、どんな年代でも必要
まず、「空気を読む」の定義が曖昧ですが、その場の会話や雰囲気の流れを読んで、その流れに上手に適応するというような意味合いですよね。
おそらく「日本人(wiki)はとにかく空気を読みすぎる」という主張の人は、推測するに、外国人との長期的なコミュニケーション経験もなく(つまり比較対象をしっかり分析もせずに)、日本だけを見て言っているような気もします。
あるいは、少し辛辣な言い方になりますが、自分の意見を述べる度胸や勇気がないことの言い訳として、「空気を読みすぎる日本人つまんねー」みたいな考えに至っているとか。
正確には「日本人は空気を読みすぎる」ではなく、日本人はただ遠慮がちだったり、自己主張が苦手というだけじゃないでしょうか。注意したいのは「空気を読む」イコール「自己主張をしない」ということではないということです。
何故なら、言うべき場面やタイミングを見極めて自己主張をすることは、それもまた空気を読むということだからです。この辺は、コミュ力(コミュニケーション能力)の話にも発展してしまいそうなので避けますが。
これは外国人から見た日本人がネガティブなイメージで捉えられている部分でもありますし、「日本人は自分の意見を言わないから面白くない」と言われてしまう部分でもあります。
言うべき場面、言っていい状況でも言わないのは、それこそKYですし、ただのヘタレです。
外国人も「その文化や風習の中で」空気を読む
肝心の外国人はどうなのかというと、その国の文化に応じて空気を読んだ発言や行動を取っています。決して、日本人だけが空気を読む(外国では空気を読まなくてもよい)というわけではありません。
結局は同じなのです。日本には日本の人々が作り出す世界があり、アメリカにはアメリカ人が作り出す世界があり、オーストラリアではオーストラリア人の、韓国では韓国人の、、、ってだけです。その流れの中で、発言・行動を場面に合わせるということは海外でも同じです。
出会いの場面の空気、お酒を飲む席での空気、恋愛の空気、種類は様々ありますが、要するに、その一つ一つの状況に適応していくということです。国内で外国人との出会いが作れるバーやクラブなどに行っても、その場所特有の空気の流れがあります。
外国にホームステイとか行ったら、それはそれで、その国で出会った人々の空気に最低限合わせる必要があります。完全にやる必要はないですが。
⇒外国人とホームステイでの出会いから長く関係が続くことはある?
「適応する」ということをサボった人間は淘汰されるのみ
空気を読むということは、短期的な何かの場面に適応することとも言えますよね。みんながふざけている場面だから一緒にふざけるべきだとか、みんなが真剣になっている場面だから真剣になるべきだとか。
つまり、短いスパンで見た適応力ですね。無理をする必要はありませんが、重要なスキルではあります。短期的にでも周囲に合わせるのが面倒くさいというのならば、ニュートラルなポジションを取っていればいいだけで、別にいちいちひねくれた態度を出して疲れる必要はありません。
ただ一つ言えることは、適応することをサボりはじめると、それはやがてクセになっていくということです。全ての場面において空気を読む必要はないとは思いますが、体がなまらない程度に「空気を読むという運動」を行い、「適応力という名の筋肉」が弱体化しないように気をつけた方がよさそうですね。
これを行わない人は、「日本の文化は合わない」とか言って外国に行ったとしても、どちらにしろ社会から淘汰されるでしょう。
この適応しないと淘汰されるという話は、人間個人だけに当てはまる話ではなく、企業なんかにも言えることですね。「変わらないでいる」ということは、時代から取り残されていくということと同義なわけです。
まとめ
珍しく真面目っぽいことを書いてみましたが、当サイト国際交流を推奨する気軽なブログです。せっかくここまで読んでいただいたわけですし、上記で書いた適応力やコミュ力を高めるためには、是非、外国人との出会いを作ってみてくださいね!
これからの時代を生き残れる日本人になるために。